“わが町ふるさと自慢”(上峰町)

「関西佐賀県人会」の皆様、日頃より上峰町へのご理解とご協力を賜り誠にありがとうございます

上峰町は古代から人の居住が確認されており、大和朝廷時代には米多国造(めたくにのみやつこ)として、応神天皇の曾孫・都紀女加王(つきめかおう)が着任、奈良・平安時代には、現在の国道3 4号付近を官道(大宰府から肥前国府=現佐賀市大和町=への駅路)が通り、多くの人が行き交っていました。平安末期には、源為朝(鎮西八郎)が九州平定に赴き、県内でも各所に伝説を残しています。上峰町の鎮西山は、鎮西八郎の居城があったとされ、屋形原は屋敷があった場所と伝えられています。江戸時代には長崎街道(江戸と長崎を結ぶ街道) が通ったことでさらに発展。現在の切通地区や坊所地区に定期的に市が立ち、宿場町としてにぎわいました。

明治時代、国の「市制町村制公布」により、江迎村、前牟田村、坊所村が合併し、「上峰村」としてスタート。平成元年には町制へ移行し、平成30年に町制施行30周年を迎え、現在に至っています。

古来、人々の行き来、交流が盛んな町でしたが、平成7年、当時県内最大の店舗面積を持つ大型商業施設の進出でさらに発展、アクセスの良さから町内はもとより、町外、県外からも多くの人が訪れ、人々が集まる拠点としてにぎわいました。

平成31年2月末に大型店が閉店し、現在は跡地を活用した新たな拠点づくりを模索中です。再びかっての宿場町のようににぎわい、次の世代、その次の世代まで笑顔で生き生きと暮らしていけるような町へと向かっていきます。

 

■町木・町花

美しい緑の郷土づくり推進協議会にて公募を行い、昭和61年に制定。町木「つばき」は、昔から町内の家庭に植えられ親しみがあり病害虫に強いことから、町花「サルビア」は、病害虫に強くかつ種子が落ちて次の年にまた花を咲かせ広がりを見せるとの理由から選定されました。翌、昭和62年5月に嬉野町(現:嬉野市)で開催された全国植樹祭の会場内に記念植樹されました。

 
 

■文化

米多浮立

米多浮立とは、江戸時代から米多地区に伝わる民俗芸能で天衝舞浮立の一種。2年に一度、老松神社秋祭(10月25日に近い土・日曜日)に奉納され、「天衝」と呼ばれる三日月型の被り物と独特の衣装を纏った踊り手たちが勇壮に舞う姿を見ることができます。

 

■祭り・イベント

鎮西山桜ライトアップ(3月)

 

鎮西山ふれあいの森フェスタ(4月)

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