『いまこそ葉隠』を読んで熟々想うこと【後編】
~常朝得意の「逆説」による死生観~
功労会員 吉村照治
3.プロローグ「夜陰の閑談」と「四誓願」
『葉隠』の序論は「夜陰の閑談」で始まり、締めくくりは、根本精神を謳った「四誓願」で終っている。原文は次の様に述べている。「御家来としては、国学心懸くべき事なり。今時、国学見落としに相成り候。大意は御家の根元を落ち着け、ご先祖様方の御苦労、御慈悲を以て御長久の事を本づけ申すために候」と。続けて「釈迦も孔子も楠木も信玄も、終に龍造寺・鍋島に被官懸けられ候儀、これなく候へば、当家の家風に叶い申さざる事にて候。余所の学問無用に候」と。前段は国学の重要さを説いている。国学とは、歴代藩主や藩主に仕えた先祖達の事跡を学ぶことと言っている。後段は藩祖直茂、初代勝茂の教えを主従皆が守って行けば、人々は落ち着き、国はしっかり物静かに治まると。我等の殿は日本一と自慢している。序論の締めくくりとして、有名な「葉隠四誓願」を取り上げ、その根本精神に四項目を挙げている。
1、武士道に於いておくれ取り申すまじき事
1、主君の御用に立つべき事
1、親に孝行仕るべき事
1、大慈悲を起こし人の為になるべき事
この後、次の原文が続き、改めて確認している。「四誓願を毎朝、仏神に念じ候へば、二人力となって後へはしざらぬものなり。尺取り虫の様に少しづつ先へにじり申すものに候。仏神も先ず誓願を起こし給うなり」と。
4.「武士道といふは死ぬことと見附けたり」の真意
このフレーズに関する常朝・陣基の本心、真意はどこにあるのだろうか。原文は次の様に述べており、改めて真意が伺える。「武士道とは死ぬことと見附けたり。二つ二つの場において早く死ぬ方に片附くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて図に当たるようにするには及ばぬ事なり。我人生きる方が好きなり。多分好きな方に理が附くべし。若し図に外れて生きたらば腰抜けなり、この境危きなり」と。常朝は死を礼賛し、つべこべ言わずに死ねばいいのだと言っているのではない。人は誰しも死ぬより生きる方が好きであるとも言っている。人命を軽視していた訳ではない。いつも死を覚悟しておくことによって充実した「生」を獲得することが出来ると言っている。このことについては、常朝得意の「逆説」を読み取ることが重要である。『葉隠』を象徴する一節一句を熟読玩味すれば「死」を美化する哲学ではないことが分かって来る。作家三島由紀夫は『葉隠』を“逆説の本”だと言っている。また自由と情熱を説いた書であるとも語っている。「死身」「死狂い」について説いた常朝は、原文で次の様なこともサラリと言ってのけている。逆説手法を採用するのにいささかの躊躇もない。「人間の一生は誠にわずかの事なり。好いたことをして暮すべきなり。夢の間の世の中に好かぬ事ばかりして苦を見て暮すは愚かなる事なり。此の事はわろく聞いては害なる事ゆえ若き衆などに終に語らぬ奥の手なり」と。
おわりに
『葉隠』の文中には、幾つかの代表的な言葉を発見する。「奉公」「武勇」「曲者」「死身」「追腹」「諫言」「慈悲」「国学」「浪人」「忍恋」などである。ここには佐賀藩の戦国時代から江戸中期までの武家社会における習慣、意識行動を垣間見る事が出来る。多くの研究者や歴史家、小説家が「武士道とは死ぬことと見附けたり」を評論している。新渡戸稲造著の『武士道』を翻訳した歴史家奈良本辰也は「思想の偉大さは極端論の中にのみある」と。『葉隠』は江戸期においても極端論にあったに違いないと述べている。「歴史に知恵を、先人に英知を学びつつ」未来に向かって前進していく所存です。
令和4年5月吉日
新刊『いまこそ葉隠』(中央・大草秀幸著)
葉隠研究誌(左) 小説葉隠(右・奈良本辰也著)