「関西佐賀県人会」の皆様、日頃より鳥栖市へのご支援誠にありがとうございます。
鳥栖市の面積は71.72平方キロメートルで、県内10市の中で最も面積の小さな市ですが、そんな鳥栖市内にも国史跡や県史跡に指定されている遺跡や古墳がいくつかあります。
その中で今回は「勝尾城筑紫氏遺跡(かつのおじょうちくししいせき)」をご紹介します。
~~~「勝尾城筑紫氏遺跡」~~~
鳥栖市の北西部の牛原町、山浦町、河内町にまたがる城山(じょうやま)山麓一帯に、戦国時代後期(約400~500年前)に鳥栖地方を本拠として東肥前(佐賀県東部)や筑前、筑後にかけて勢力を奮った筑紫氏の勝尾城筑紫氏遺跡があります。
勝尾城を中心に麓の館跡をはじめ、谷をぐるりと取り囲むように鬼ヶ城(おにがじょう)、高取城(たかとりじょう)、葛籠城(つづらじょう)、鏡城(かがみじょう)、若山砦(わかやまとりで)の5つの支城、さらに館跡からはじまる谷間には家臣の屋敷跡、寺社跡、町屋跡や土塁、空堀等の城下跡が良好な状態で残されています。その規模は東西約2.5km、南北約2kmに及びます。
城下町の構造としては、河内川に沿って西側の谷奥から城主筑紫氏の館並びに重臣クラスの屋敷を中心とする領主支配の中枢的な空間、2番目は高取城の北側で東西に流れる河内川を境に、北に家臣屋敷と寺社、南には伝春門屋敷の空間、3番目は四阿屋神社と葛籠城及び付随する屋敷の空間、4番目が城下においてもっとも外側に位置し、主に町屋を中心とする空間で構成されています。これらの城下空間に対し、谷を遮断するように4つの長大な堀と土塁が構築されることにより領域区分と城下防備を行っています。
全国的に、戦国時代の城下町のほとんどが現在、市街地になっていたり、開発等により改変されている中で、当時の姿を止めている勝尾城筑紫氏遺跡は戦国時代の城下町の姿を知る上で大変重要な遺跡との評価を受けています。
鳥栖市ホームページに紹介動画を掲載しておりますので、ぜひご覧ください。